年頃の女の子がピアスをしたがるのは,他人(親)の所有物であった「子どもな自分」の体に穴をあける・傷をつけるという行為を通して,それを自分のものにする=親の所有から開放されて大人になる儀式的なものなんだっていわれているんです.未開社会の成人の儀でバンジージャンプみたいな危険行為が行われるのも,みな同じ意味をもっているというのが,構造主義が解き明かしたことでした.
現代の日本でも岸和田のお祭りとか各地の寒中水泳みたいに,特別なハレの日に,ちょっとした危険行為やムチャ行為が行われる風景はよく見ますよね.
さて,ひるがえって今日はある種の人々には,とても大きな意味のあるハレの舞台だったりするわけです.お祭りムードの中で気分は高揚し,雨にうたれ,人の波にもみくちゃにされながらも立派な戦果をあげて気分は最高潮です.そこにですよ,本日最大のサプライズとして突如あらわれる献血限定・非売品「なのはポスター」なわけですよ.さて,体調に疑問のある猪地カケルくん(18)はどうするのか?
既に何名かが献血を終わらせて限定ポスターをもらっている...
しかし,遠路はるばる上京してきたカケルくんは,前夜は8時間にわたって12月の雨にうたれ,数時間ヒトゴミと格闘し,正直ホテルにもどったら,そのまま崩れ落ちて翌朝まで目が覚めることもないだろうと思えるくらいの疲労状態なわけです.
ウワサによれば,あの限定ポスターは既にヤフオクにもでていて高値ではあるけど入手はできる.なのはさんのためなら,その程度のお金を払うのに何の迷いもない....しかし,だからこそですよ.
自分はそういう方法は断固拒否する.自分は映画や再放送があるときだけ思い出したかのようにtwitterのアイコンを なのはにかえるようなヤカラとはちがう.他の人たちが越えられない壁を自分なら越えられる.今こそ,真実の愛を!となるわけですよ.
考えてもみてください.数か月後...あるいは数年後,親しくなった友だちを家に招いたとしましょう.
友だちは彼の部屋の片隅に,1枚のポスターを見つけます.今では少し懐かしい雰囲気すらする名作を題材にしたポスターは,間違いなく,あのときの,特別な方法でしか手に入らなかったあの品です.
友だち「君,これはあのときの...」
カケル「もしかして君もあそこにいたのかい?」
友だち「ああ...」
...考えてもみてください.ここで「まぁオデのはヤフオクで落としたんだけどな,ブヒブヒ」とか,いえますでしょうか?
少佐「軍曹,その鉄十字章は?」
軍曹「はッ,少佐殿,これは北アフリカでいただいたものであります」
少佐「そうか,君もあそこにいたのだな....この戦い,正直むつかしいと思っていたが,そうか,君がいてくれるのなら,まだ戦えるな...」
真実の力を未だ知らない人には決してわからない世界が,そこにはあるんです.
ゆえにカケルくんは最後の力をふりしぼって献血の受付の前にならぶわけです.医師の問診でも決して気どられないように,つとめて元気よくふるまって... 血を抜かれはじめてからも,何度途中でギブアップしようかと思うほど意識が遠のくのを感じました....こうして手にした1枚のポスターにどれほどの価値があるかは,わかる人にしかわからないでしょう.
そしてホテルへの帰り道,文字通り死力をつくしたカケルくんの体はホームに滑り込んでくる電車の前に吸い込まれていったのでした....
と,まぁ,コミケ献血で なのは袋...じゃなくて,なのはポスターだっけ?配るのは意外なほど危険だっていうことを,ご理解いただけたでしょうか?
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