豚コレラ ワクチン使用の悩ましさ
2019年9月に発生した豚コレラ騒動で,政府がなかなかワクチン使用に踏み切れなかった理由等を調査したメモ.
ワクチン基礎知識
- ワクチンは弱毒化したウイルスを投与して軽く感染させることで抗体を作らせる仕組み[A6].
ワクチン使用の問題点
- ワクチン接種豚と野外感染豚の区別がつかなくなる[3].
- 豚コレラは罹患してすぐに死ぬ急性経過以外に,罹患しているのに特に症状が見られない慢性経過をたどる場合がある(いわゆる健康保菌者の状態).
- 罹患しているのに症状がでない個体は臨床検査(鼻水や熱がでているなどの症状)では発見できないので,抗体検査(血液検査でウイルスに反応して生産される抗体の量を調べる方法)で発見するしかない([5] 豚コレラに関する特定家畜伝染病防疫指針 別紙1 豚コレラ診断マニュアル,II 抗体検査,1 検査方法,p.60).
- しかし,ワクチン接種をしている豚も抗体を生産してしまうので,本当に罹患している豚なのかワクチン接種により抗体を生成している豚なのか区別ができなくなる.
- ワクチンを使用しても感染する可能性は残る.すべての個体が十分な抗体を得るとは限らない[3].
- 生ワクチン[A1](本物のウイルスを処理して弱毒化したもの)のため,製造工程でウイルスの弱毒化処理に失敗してウイルスの効果が残留している場合がある(病原性復帰ワクチンウイルス,2004年に鹿児島で発生した感染がこれに該当していたと推定されている[8][13]).
- 感染経路の特定が絶望的になる.
- 感染源が特定できなくなるため撲滅までに十分に長期間ワクチンを使い続けることになり(感染源をつぶしたわけではないのでワクチン使用をやめればすぐにまた感染がはじまる可能性が高い),ワクチン使用からの離脱に10年程度かかると考えられる(日本が最初にワクチン使用したケースでは1996年に離脱計画を開始してから清浄国になるまで11年かかっている).一方,ワクチンを使用せずに収束すれば収束宣言をだしてから3か月で清浄国に復帰できる.
清浄国の利点
- 清浄国は(他の清浄国を含む)すべての国に輸出できる.
- 2018年の輸出実績 2321 トン,10.1 億円([6] p.18).
- たいした規模ではないが 2018 年度に対して金額ベース +18.9% と伸び率は高く,近年ずっと右肩上がりで好調だったといえそう(図1 [6] pp.13, 18).
- 国内生産 1,272,000 トン,対する輸入は 1,357,000 トン(2017年).輸出の 2321 トンは桁違いもいいところではあるものの,中国が旺盛な消費で78万トンの輸入国に転じるなどチャンスは広がっている([10] 第2章 第5節 主要農畜産物の生産等の動向 (9) 畜産物 p.199).
- 清浄国は非清浄国からの輸入を無条件で拒否できる.非清浄国に陥落すると拒否権がなくなるため非清浄国からの輸入解禁圧力が高くなる = 清浄国であることが国内市場の保護に役立っている.
- 非清浄国になると安い豚肉を生産する非清浄国(ぶっちゃけ中国)と価格競争することになり国内市場がピンチ.
- 現在スーパーなどで国産とアメリカ産くらいしか見ないのは,清浄国で日本向け輸出できる国がアメリカくらいしかないから[4].
- 生の豚肉だけでなく,ハムなどの加工品・加工品原料・飼料なども考慮する必要があることに注意.
つまり,豚肉は清浄国は清浄国だけの市場を形成し,非清浄国のゴミカス市場とは完全隔離されたエリート社会になっている.このような状況から,清浄国から非清浄国に陥落するのは,貴族の身分を失うようなもので非常に厳しい前途が待っている.日本の養豚業者は輸出品はもとより国内市場においても高価格で売れることを前提に経営しており,価格競争に巻き込まれて無事でいられるかは甚だ疑問である.
|
図1 豚肉の輸出額・輸出量及び輸出先国の推移[6]
|
経営戦略上の考慮点
- 豚肉も牛肉と同じく高級品になるしか生き残りの道はない.
- 牛肉は 1991 年に自由化がはじまったが,高級化による差別化で生き残りに成功した.
- 豚肉も同様のモデルでしか生き残りの道はないと考えられている.清浄国とそれ以外の格差が大きい豚肉で「それ以外」の側に落ちてしまうようでは高級化など夢のまた夢.
- 10年も非清浄国になって国際競争にさらされると国内生産者が消滅しかねない.
ワクチンを使わなかった理由
正確には使っていなかったわけではなく,少々トンチを効かせた方法で使用していた.
- 野生のイノシシが感染源・媒介と考えられていた.
- この仮定が正しければ,養豚にワクチン接種しなくても,野生イノシシの方にワクチン接種する,野生イノシシと養豚との接触をブロックすることで抑え込める.そこで中部地方と関東の山地に「防衛ライン」を設定して次のような対策をとっていた[N1][N4].
- ワクチン入りのエサをまく(ワクチンベルト[N3],野生イノシシが食べることでワクチン接種となる).
- 野生イノシシの捕獲を増やす(個体数を減らして養豚との接触機会を減らす).
このように「ワクチンを使っていなかった」という理解は必ずしも正しくはない.商品である豚の方には使っていなかった(使わなくてよいはずだった)というのが正しい.
さらに大きな観点として次のアフリカ豚コレラに対する考慮がある.
アフリカ豚コレラ
- アフリカ豚コレラという さらに強力な疫病が待ちかまえている(豚コレラとは別の病気).
- アフリカ豚コレラにはワクチンがない.
- アフリカ以外でも東欧・ロシアに広がっており,2018年8月3日には中国,2019年9月17日には韓国でも発見されている[12].(この経過を見ると「来年2020年は日本よね?」と思える.あぁ,オリンピックで世界中の農産物が日本にくるなぁ….)
今回国内への侵入阻止・封じ込めともに失敗した意味は極めて大きい.ワクチン使用を開始して感染源・感染経路がわからなくなれば「穴があいたまま」なわけで,アフリカ豚コレラの侵入・蔓延を防ぐ方法もなくなる可能性が高い.
9月20日にワクチン使用を解禁した理由
- 2019年9月13日に感染が確認された埼玉県秩父市の養豚場は,感染した野生イノシシが見つかった長野県西部から 100 km 以上離れている[N1].この 100 km の区間では感染したイノシシは発見されておらず,実際に野生イノシシとの接触もなかったと考えられている.
- 野生イノシシ以外の何かが媒介している可能性が高くなった.具体的には,人,車輌,ネズミやネズミのフンなどの他の野生動物,飼料など.(アフリカ豚コレラが清浄国で発生した事例では国外から入ってきた航空機や船舶の残飯を豚に与えたことによるものが多いとのこと[12].「そんな少量で?」「しかも加工済みのもので?」と驚いてしまうのだけど…)
- 初期段階では媒介者は野生イノシシという仮定は正しかったと思われるが,現時点では既にその段階ではなくなっている.未だ感染源・媒介者ともに特定できておらず,もはや養豚とウイルスの接触をブロックする方法がない.つまり封じ込めは失敗した.
- 関東でも感染が確認された.関東は大生産地であるため,東海地方とちがって「関東に封じ込める」は意味がない.
- 豚肉は 九州,関東・東山,東北 が大生産地で,この3地方だけで 75%.
- 九州 308 (32%),関東・東山 256 (26%),東北 167万頭 (17%) に対して,東海地方は 69万頭 (7%) でしかない[9].(※農林水産省の定義では「東山地方」は 山梨県と長野県の2つ[11][A5].岐阜県飛騨地方は含まない.)
参考 歴史的経緯
1969 | 豚コレラ ワクチン実用化.
|
1992 | 国内最後の豚コレラを観測.
|
1996-04 | 「豚コレラ清浄化5カ年計画」開始.
|
2000 | ワクチン使用を原則中止.
|
2004 | 鹿児島で豚コレラ疑似患畜発生(※1).日本で初めてワクチンを使わず防圧した事例となった[13].
|
2006-04 | ワクチン使用を全面中止.
|
2007-04-01 | 国際獣疫事務局(OIE)規約の定める清浄国に昇格.
|
2018-09-09 | 26年ぶりに豚コレラ発生.清浄国のステータスを失う([5] 前文).
|
2019-09-20 | ワクチン使用解禁[N5].
|
2004年の鹿児島の事例(※1)が「注射液の包装形状をとった内容不明の薬品を購入し、飼養豚に注射」「内容不明の薬品の中に豚コレラウイルスが含有していたと推察」「この内容不明の薬品は国内で承認されていないワクチンであったことが考えられ…」[13] と,かなりの闇 (^_^;) 国内でワクチンが入手できなくなったため,養豚業者が自前で国外から持ち込んで使っていたのだろう.
しかし,この事例のように闇を闇のまま終わらせるのではなく,原因を突き止めて「今後はこういう未承認の国外のワクチンを使う反則はやめようね」と穴をふさぐ地道な活動が大事なんだと思う.
Links
はたいたかし
http://exlight.net/
2019-09-20